教員免許が「安売り」される? ——文科省の緩和案に見る、これからの「教師」の定義と私たちの覚悟

12月18日、文部科学省から出された「教職課程の緩和案」のニュース、先生方はもうご覧になりましたか?
「教養科目や実習を減らして、教師の質は保たれるのか?」
「現場に丸投げされる私たちの負担はどうなる?」
「ただでさえ忙しいのに、未熟な新人が増えるのは怖い」
正直なところ、わたし自身も、最初は「ここまでやるか」と複雑な思いを抱きました。
しかし、学校現場の「人手不足」という悲鳴を無視できないのも事実です。
今日は、この「免許取得のハードルが下がる」という事実を、単なる「質の低下」として嘆くだけでなく、「チーム学校」のための「新たな味方(サポーター)」を増やすチャンスとして捉え直してみたいと思います。
この記事を読み終える頃には、押し寄せる制度改革の波に対して、少しだけ前向きな「覚悟」と、新しい時代の「教師像」のヒントが見つかるはずです。
1. Point:緩和案は「過渡期の痛み」!?
今回の制度改正案は、一見すると「教師の質の低下」を招く暴挙に見えるかもしれません。
しかし、わたしはこれを「プロフェッショナルな教師」と「教育を支えるサポーター(有資格者)」の役割分担を進めるための「過渡期の痛み」だと捉えています。
大学ですべてを完成させてから現場に出す「完結型」のモデルは、もはや限界を迎えています。
これからは、ハードルを下げて多様な人材を学校や地域に招き入れ、「現場で育てる」「互いに支え合う」というスタイルへ転換せざるをえません。
私たちベテランや中堅層に求められるのは、新制度で入ってくる彼らを「未熟だ」と切り捨てることではなく、彼らが持っている「教育以外の社会経験」や「熱意」を活かしながら、チームとして子供を育てる土壌を作ることだと考えます。
2. Reason:緩和案が求められる理由や背景
なぜ、このような大胆な緩和策が必要なのでしょうか。
その背景には、きれいごとでは済まされない「教室の現実」と、これからの社会が求める「教育の形」の変化があります。
① 「未配置」という最大の質の低下
まず直視しなければならないのは、現在の学校現場における深刻な教員不足です。
わたしも研究の一環で多くの学校を訪れますが、担任がいないクラス、管理職や教務主任が授業を埋めている現状を目の当たりにします。
「質の高い教師が育つまで待つ」と言っている間に、目の前の子供たちの学びが止まってしまう。
文科省がなりふり構わず「量の確保」に舵を切ったのは、この「教育の空白」を避けるための緊急避難的な措置と言えます。
② 「開放制」の理念とペーパーティーチャーの価値
日本にはもともと、教員養成大学以外でも免許が取れる「開放制」という仕組みがあります。
今回の緩和は、この理念を現代風に再解釈したものとも言えます。
つまり、「担任としてバリバリ働くプロ」だけでなく、「地域で部活動を見る人」「放課後の学習支援員」「企業で働きながら土日だけ関わる人」といった、「教育のリテラシーを持った市民(ペーパーティーチャー)」を社会に溢れさせようという意図が見え隠れします。
心理学の視点から見ても、子供たちが多様な大人と関わることは、社会性を育む上で非常に重要です。
「学校の先生」という同質性の高い集団だけでなく、少しハードルを下げてでも、多様なバックグラウンドを持つ大人が「有資格者」として地域に増えることは、長い目で見れば子供たちのセーフティネットになるはずです。
③ 養成から研修へのシフト
かつては「大学で100点にしてから送り出す」ことが理想でしたが、教職課程が過密になりすぎ、志願者が減るという本末転倒な状況が起きていました。
「66条の6(憲法や体育などの独自要件)」の廃止や実習の代替措置は、「大学では基礎(60点)を作り、残りの40点は現場のOJTや研修で高める」というモデルへの転換を意味します。
これは現場の先生方には負担増に感じるかもしれませんが、裏を返せば、現場の実践知こそが専門性を高める鍵であると、改めて定義されたとも言えるのです。
3. Example:教職課程の制度改正による現場の変化
では、具体的に現場はどう変わっていくのでしょうか。わたしが関わってきた先生方の事例や、今後起こりうる場面を想像してみましょう。
事例①:若手教員の苦悩と「育て直し」の必要性
以前、わたしがコーチングを担当した新任のB先生(女性)の話です。
彼女は非常に真面目で優しい先生でしたが、学級経営がうまくいかず、「思い通りにいかない」と自分を責めていました。
もし今後、大学での学びがさらにスリム化されたら、B先生のような悩みは増えるかもしれません。
しかし、ここで重要なのは「大学で習っていないからダメだ」と突き放さないことです。
あるベテランの主任の先生は、B先生に対して「指導技術」を教えるのではなく、「まずは子供と一緒に遊んでみて」と、関係づくりの基礎だけを徹底させました。
結果、B先生は持ち前の優しさで子供たちの信頼を得ていきました。
これからの現場では、このように「知識の不足」を嘆くのではなく、「その人の良さを活かして、現場で育て直す」というOJTの機能が、管理職やリーダー層に強く求められるようになります。
事例②:「ペーパーティーチャー」が救世主になる未来
一方で、今回の緩和によって免許を取得した「社会人経験者」が、地域のサポーターとして入ってくるケースも増えるでしょう。
例えば、わたしの知人に、企業を定年退職してから「学習支援員」をしている男性がいます。
彼は教職課程の負担が重すぎて現役時代は免許を諦めた口ですが、今回の改正のような措置があれば、もっと早く教育に関われていたかもしれません。
彼は授業のプロではありませんが、子供の話を傾聴するスキルや、社会の厳しさと面白さを語る経験を持っています。
そして自身の子育てを通して教育に強い興味を持った一人でした。
「授業はプロの教師が、放課後の相談や部活は地域の有資格者が」このように役割を分担できれば、先生方の長時間労働も緩和され、子供たちはより多くの大人に見守られることになります。
心理学的見地からの「受容」わたしはカウンセリングの中で、「変えられないものを嘆くより、変えられるものに目を向けよう」とよくお伝えします。
制度改正は個人の力では止められません。
だとしたら、「質が下がった新人が来る」とネガティブに構えるのではなく、「まだ何色にも染まっていない、素直な後輩が来る」「多様な経験を持った異分子が混ざる」と捉え直してみてはどうでしょうか。
かつて震災で家族を失ったとき、わたしは「失ったもの」の大きさに打ちひしがれましたが、同時に「残されたもの」や「新しく差し伸べられた手」の温かさにも救われました。
学校現場も同じです。
かつての「完璧な教師像」は失われるかもしれませんが、その代わりに「多様な支え手」を得るチャンスが、この制度改正には含まれているのです。
4. Point:理想と現実のはざまで,みんなで子どもを育てる
今回の文科省の「中間まとめ」は、私たち大学教員や現場の教師にとって、確かに受け入れがたい部分を含んでいます。
「教養」や「準備期間」を削ることは、短期的には現場の混乱を招くかもしれません。
しかし、「教師不足」という待ったなしの状況において、私たちは「理想」を語るだけでなく、「現実」の中で子供たちを守る方法を選ばなければなりません。
先生方にお願いしたいのは、これから入ってくる新しい制度下の先生たちを、「簡易版の免許」と色眼鏡で見ないであげてほしいということです。
彼らは、これまでの私たちとは違うルートで、違う強みを持ってやってくる「新しい仲間」です。
「専門性は、職場で高めればいい」そう腹を括り、大学側のわたしたちも、卒業後のフォローアップ研修やリカレント教育など、全力で現場をバックアップする仕組みを作っていきます。
学校の中だけで抱え込まず、地域や多様な人材を巻き込んで、「みんなで子どもを育てる」原点に立ち返る。
今回の改正が、そのきっかけになると信じています。
まとめ
文科省の緩和案は「質の低下」と「量の確保」のギリギリの選択。
- 「ペーパーティーチャー」を「地域の教育サポーター」として歓迎しよう。
- 大学完結型から、現場と連携した「育成型」へシフトする覚悟が必要。
- 新人を「未熟」と嘆くより、チーム学校の「新しいピース」として受け入れよう。
先生方の毎日は本当に過酷で、尊いものです。
制度が変わっても、目の前の子供を想うその情熱が変わらなければ、日本の教育はまだ大丈夫だと、わたしは信じています。

