主任・主幹になった教師がぶつかる「アイデンティティ危機」:授業を離れた教師の葛藤

こんなこと、感じたことはありませんか

  • 会議で一日が終わり、教育が遠のく
  • 授業をしない自分を教師と思えない
  • 子どもとの距離に、役割の喪失を感じる

その感覚は、軽く扱わないほうがいいです。
忙しいからそう感じる、というだけではありません。

私は学校現場の研修や管理職支援の場で、先生方の語りを多く聞いてきました。
そこでよく耳にするのが、「仕事は増えたのに、教師としての実感は減った」という戸惑いです。

この記事では、教師の職業的アイデンティティと役割移行の研究を手がかりに、主任・主幹になった教師がなぜ揺れるのかを整理します。
そのうえで、授業を離れたあとも教育者としての軸をどう組み替えるかを考えます。

授業をしないなら教師ではない、という話ではありません。
役職が上がれば自然に慣れる、という話でもありません。
むしろ、教師として築いてきた核を保ちながら、教育の届き方を広げる話です。

葛藤は、未熟さの証拠ではありません。
移行が始まっているサインです。
今日は、その構造と打開の視点を一緒に整理します。

1.Point:授業を離れても教育者性は失われない

結論からお伝えします。

主任・主幹の仕事は、授業を手放すことではありません。
授業の前線から、授業を支える中枢へ立ち位置が変わるのです。

教師の職業的アイデンティティは、固定された肩書ではありません。
ベイヤルトら(Beijaard, Meijer, & Verloop, 2004)が整理した教師の職業的アイデンティティ研究では、それは経験を解釈し直し続ける動的な過程だと示されています。
だからこそ、役割が変われば揺れます。
揺れないほうが不自然です。

ブリッジズ(Bridges,2004)が示したトランジション理論では、人が苦しむのは役職の変更そのものではなく、「これまでの自分が終わる感覚」です。
主任・主幹のしんどさは、業務量だけでは説明できません。
自己像の組み替えが起きているからです。

授業をしていないから教師ではない、とは言えません。
会議や調整が増えたから教育から離れた、ということでもありません。
むしろ、一人で教える教師から、他者の実践を通して教育を広げる教師へと、影響の半径が変わっているのです。

2.Reason:教師が役割移行で揺れる理由

この葛藤は、気持ちの弱さではありません。
役割と自己像の結びつきが強い職業だからこそ起きる現象です。
以下、3つの論点から整理します。

① 授業で自己像をつくる

教師は、日々の授業を通して「自分は教師である」という感覚を確かめています。
 教材を準備する。
 子どもの反応を見る。
 つまずきに応じて問いを返す。
その積み重ねが、自己効力感だけでなく職業的アイデンティティの土台になります。

ベイヤルトら(Beijaard, Meijer, & Verloop, 2004)は、教師の職業的アイデンティティが、教科内容・教授行為・生徒との関係といった複数の側面から成り立つと整理しました。
主任・主幹になると、この3つへの関わり方が一気に変わります
授業時間が減れば、教師としての手応えが薄れるのは自然です。
違和感は異常ではありません。
職業的自己像の再編が起きているのです。

② 喪失感が先に来る

役割移行では、新しい役割の意味づけより先に、前の役割を失う感覚が来ます。
これをブリッジズ(Bridges, 2004)のトランジション理論は「終わり」の段階として説明します。
人は新しい始まりの前に、まず終わりを経験します。

学校では、この段階が見えにくい
朝は打合せ、昼は保護者対応、放課後は会議です。
業務は回っていても、内面では「担任だった自分」が終わっていきます。
そのため、「前のほうが教師らしかった」という感覚が生まれやすいのです。
この喪失感を否定すると、移行はかえって長引きます。
言葉にしたほうが前に進みます。

③ 新しい自己像は試行錯誤でできる

新しいアイデンティティは、考え抜いた末に完成するものではありません。
イバーラ(Herminia Ibarra, 1999)が示した「プロビジョナル・セルフ」の考え方では、人は新しい役割に適応するとき、仮の自己像を試しながら自分を作り替えていきます。
最初からしっくり来る必要はありません。

たとえば、若手に助言するときに、以前の自分なら答えを示していた場面で、今は問いを返してみる。
校内研修で、自分が話すより先に他者の実践を引き出してみる。

こうした小さな実験が、「授業をする教師」から「授業を育てる教師」への移行を進めます。
役職に就いたから変わるのではありません。
行動を変えるから、自己像が追いついてきます。

3.Example:影響の届き方を捉え直した主任の事例

中学校で学年主任になったEさんは、授業力の高い教員として知られていました。
研究授業でも安定して評価され、若手からも相談を受ける存在でした。
ところが主任になってからは、時間割調整、保護者対応、学年会の段取り、生徒指導の連携が増え、教室にいる時間が目に見えて減りました。

職員室の自席で資料をそろえながら、Eさんはときどき手を止めていました。
「今日も授業より調整で終わった」
「自分は何をしているんだろう」
そんな思いが、夕方になるほど強くなっていったのです。

Eさんに尋ねました。
「いちばん失った感じが強いのは、何ですか」
しばらく黙ったあと、Eさんは言いました。
「子どもの変化を、毎時間の中で直接見られないことです」

そこで問いを重ねました。
「では、Eさんが若手の授業づくりを支えたとき、その授業を受ける子どもには何が届きますか」
Eさんは少し考えてから、こう返しました。
「私が一人で教えるより、届く範囲は広いかもしれません」
さらに、学年会で若手に向ける言葉も変えました。
「ここが足りない」ではなく、「今日の授業で、生徒が動いた場面はどこだった?」
そう問うようにしたのです。

2か月ほどすると、若手教員の話し方が変わりました。
報告が事務連絡だけでなく、授業の手応えを含むものになりました。
Eさん自身も、会議や調整を「授業から遠い仕事」ではなく、「授業が成立する条件を整える仕事」と捉え直せるようになりました。
役割は同じままでした。
しかし、仕事の意味は変わりました。

このEさんに起きた変化

  • 喪失感の中心が見え、苦しさを言語化できた
  • 若手支援を教育実践として捉え直せるようになった
  • 助言より問いを増やし、学年の授業対話が深まった
  • 「教える教師」から「育てる教師」への自己像が育った

4.Point:転換は納得より先に実践から始まる

授業から離れたから終わり、ではありません。
役職に慣れれば自動的に整う、ということでもありません。
むしろ、問いと行動を変えることで、新しい教育者像が立ち上がってきます。

現場で意識したい視点を整理します。

① 喪失を言葉にする

まず必要なのは、前向きな解釈ではありません。
何が失われたように感じるのかを、具体的に言うことです。

「子どもの反応を毎時間見られない」
「授業で一日をつくる感覚がない」

この言語化がないままでは、漠然とした不全感だけが残ります。
喪失感は、排除する対象ではありません。
新しい役割理解の入口です。
ブリッジズ(Bridges, 2004)がいう移行の出発点は、まさにこの“終わり”の自覚です。

② 影響の半径を見直す

主任・主幹の仕事は、成果が直接見えにくい。
ここが苦しさの核心です。

自分が教えた一時間は見えます。
しかし、自分が支えた若手の一年は見えにくい。
校内研修で共有した問いが、各教室でどう広がったかも追いにくい。
それでも、影響は消えていません。
むしろ増えています。
ベイヤルトら(Beijaard, Meijer, & Verloop, 2004)らが示すように、職業的アイデンティティは文脈との関係の中で再構成されます。
目の前の授業だけを教師性の根拠にしないことが重要です。

③ 仮の自分で動いてみる

新しい役割にぴたりと合う自分を、最初から見つけることはできません。
だから、仮でいいのです。

イバーラ(Ibarra,1999)が述べるように、役割移行では「試しにやってみる自分」が必要です。
たとえば、

  • 若手への関わりを評価者としてではなく伴走者として試す。
  • 会議を結論の場だけでなく、実践知を引き出す場として試す。
  • 研修で正解を示すより、現場の問いを可視化する役として試す。

こうした行動が重なると、あとから自己像が形成されます。
実感は、実践の後から来ます。

役割が変わると、しばらくは居心地が悪いものです。
それでも、問いを変え、関わりを変えれば、教師としての軸は失われません。
広がり方が変わるだけです。

参考文献

  • Beijaard, D., Meijer, P. C., & Verloop, N. (2004). Reconsidering research on teachers’ professional identity. Teaching and Teacher Education, 20(2), 107–128. https://doi.org/10.1016/j.tate.2003.07.001
  • Bridges, W. (2004). Transitions: Making sense of life’s changes. Da Capo Press.
  • Ibarra, H. (1999). Provisional selves: Experimenting with image and identity in professional adaptation. Administrative Science Quarterly, 44(4), 764–791. https://doi.org/10.2307/2667055

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